17年10月20日 08:40

宗祖日蓮大聖人《今月の御書 11月度》

  15年11月 9日 18:34   閲覧件数 486
『白米一俵御書』 弘安三年 聖寿五九歳

一切のかみ仏をうやまいたてまつる始めの句には、南無と申す文字ををき候なり。

南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺のことばにて候。

漢土・日本には帰命と申す。

帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。

我が身には分に随ひて妻子・眷属・所領・金銀等もてる人々もあり、また財なき人々もあり。

財あるも財なきも命と申す財にすぎて候財は候はず。

さればいにしへの聖人賢人と申すは、命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。

 いわゆる雪山童子と申せし人は、身を鬼にまかせて八字をならへり。

薬王菩薩と申せし人は、臂をやいて法華経に奉る。

我が朝にも聖徳太子と申せし人は、手のかわをはいで法華経をかき奉り、天智天皇と申せし国王は、無名指と申すゆびをたいて釈迦仏に奉る。

此等は賢人聖人の事なれば我等は叶ひがたき事にて候。

 たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。

志ざしと申すはなに事ぞと、委細にかんがへて候へば、観心の法門なり。

観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、たゞ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。

(御書一五四四㌻)