17年10月20日 08:24

宗祖日蓮大聖人《今月の御書 5月度》

  14年5月21日 09:14   閲覧件数 499
『新池御書』 弘安三年二月 五十九歳

うれしきかな末法流布に生まれあへる我等、かなしきかな今度此の経を信ぜざる人々。

抑(そもそも)人界に生を受くるもの誰か無常を免れん。さあらんに取っては何ぞ後世のつとめをいたさゞらんや。

倩(つらつら)世間の体を観ずれば、人皆口には此の経を信じ、手には経巻をにぎるといへども、経の心にそむく間、悪道を免れ難し。

譬へば人に皆五臓あり。一臓も損ずれば其の臓より病出来して余の臓を破り、終に命を失ふが如し。

爰を以て伝教大師は「法華経を讃すと雖も還って法華の心を死(ころ)す」等云云。文の心は法華経を持ち読み奉り讃むれども、法華の心に背きぬれば、還って釈尊十方の諸仏を殺すに成りぬと申す意なり。

縦ひ世間の悪業衆罪は須弥の如くなれども、此の経にあひ奉りぬれば、衆罪は霜露の如くに法華経の日輪に値ひ奉りて消ゆべし。

然れども此の経の十四謗法の中に、一も二もをかしぬれば其の罪消えがたし。

所以は何、一大三千界のあらゆる有情を殺したりとも、争(いか)でか一仏を殺す罪に及ばんや。

法華の心に背きぬれば、十方の仏の命を失ふ罪なり。此のをきて(掟)に背くを謗法の者とは申すなり。