17年10月20日 01:06

宗祖日蓮大聖人《今月の御書 4月度》

  14年4月 7日 07:37   閲覧件数 1,198
『椎地四郎殿御書』 弘安四年四月二日  六〇歳

 先日御物語の事について彼の人の方へ相尋ね候ひし処、仰せ候ひしが如く少しもちがはず候ひき。これにつけても、いよいよはげまして法華経の功徳を得給ふべし。師曠(しこう)が耳・離婁(りろう)が眼(まなこ)のように聞き見させ給え。

 末法には法華経の行者必ず出来すべし。但し大難来たりなば強盛の信心弥々(いよいよ)悦(よろこ)びをなすべし。火に薪をくわ(加)へんにさかん(盛)なる事なかるべしや。

大海へ衆流(しゅる)入る、されども大海は河の水を返す事ありや。法華大海の行者に諸河(しょが)の水は大難の如く入れども、かえす事とがむる事なし。諸河の水入る事なくば大海あるべからず。大難なくば法華経の行者にはあらじ。

天台の云はく「衆流(しゅる)海に入り薪(たきぎ)火を熾(さかん)んにす」等云云。

法華経の法門を一文一句なりとも人にかたらんは過去の宿縁(しゅくえん)ふかしとおぼしめすべし。経に云はく「亦正法を聞かず是くの如き人は度し難し」云云。此の文の意(こころ)は正法とは法華経なり。此の経をきかざる人は度しがたしと云ふ文なり。

法師品(ほっしほん)には「若是善男子善女乃至則如来使」と説かせ給ひて、僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使ひと見えたり。貴辺すでに俗なり、善男子の人なるべし。

此の経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし。妙楽大師の云はく「一句も神に染めぬれば咸(ことごと)く彼岸を資(たす)く、思惟修習永く舟航(しゅこう)に用(ゆう)たり」云云。

生死の大海を渡らんことは、妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず。                                   (御書 一五五五㌻)