17年6月27日 10:48

『信仰をすると周囲から奇異の目で見られるのではないか』

  14年1月16日 20:51   閲覧件数 528
 人は皆、生き方が違いますし、宗教に対する認識もそれぞれ異なります。なかには宗教の必要性をまったく認めない人もいれば、宗教をアヘンのように思っている人、宗教を低級なものと思っている人など様々です。

 今あなたは信仰の必要性を認識したものの、もし日蓮正宗の信仰をすれば、このような人々から奇異な目で見られはしないかと心配しているのでしょう。

 しかし周囲の目といっても、宗教の正邪を弁えない人々の宗教観は道理にかなったものではなく、無責任極まりないものです。もしあなたがこれらの人々のいうことに従ったとしても、これらの人々があなたに対して幸せになる道を教えてくれるわけではありません。

 欧米では「あなたは何を信仰していますか」と聞かれたときに「私は信仰を持っていません」と答えると、かえって周囲から、なんの信念も指針も持っていない人だと軽蔑され、奇異な目で見られるそうです。

 また、現代は「心の時代」ともいわれ、人生を快適に過ごすために宗教等による精神的な充実の必要性を説く人も増えています。

 このように信仰を持つことは恥ずかしいどころか、むしろ人生を深く考え、より向上しようという行為といえるのです。「周囲の奇異な目」といっても、周囲の人々はそれほど深い意味で批判しているわけでなく、あなたの思い過ごしの部分が多いのではないでしょうか。

 日蓮大聖人は、
 「百千合はせたる薬も口にのまざれば病も愈えず。蔵に宝を持てども開く事を知らずしてかつへ、懐に薬を持ても飲まん事を知らずして死するが如し」(一念三千法門・御書一一〇㌻)

と仰せられ、せっかくの薬も宝も用いなければなんの役にも立たないように、正しい信仰をしなければ真の幸福は築かれないと教えられています。

 他人の目を気にして至上の宝である正法の信仰を持たず無為に過ごすことは、あなたの人生にとって最大の損失になるのです。

 入信当初は、一時、心ない人から奇異な目で見られることがあるかもしれませんが、「真実の宗教を信仰して幸せな境界を築くのだ」という、強い自覚と信念と誇りをもって信仰に励むならば、周囲の人もやがてはあなたを見直して尊敬の眼差しを向けるようになるでしょう。

 大聖人は、
 「されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし」(持妙法華問答抄・御書二九八㌻)

 と、最高の教えを持つ人は、また最高にすばらしい人だと仰せられています。

 どうか、取り越し苦労や弱気をふり払い、勇気をもって真実の門に入り、正々堂々と人生の大道を歩んで下さい。

(『正しい宗教と信仰』より転記)