17年10月18日 11:08

『狐つきなどの「つきもの」をどう考えるべきか』

  14年1月 9日 20:39   閲覧件数 981
 今日の医学では狐つきや蛇つきなどの「つきもの」を、様々な原因によって起こる一種の心神喪失状態としているようです。

 しかし実際には、そうした診断だけで説明のつく現象ではないようです。

 仏法ではあらゆる生命の本質を十界論でとらえていますが、狐や蛇などのつきものは、まさに人間の生命の上にあらわれた畜生界の姿にほかなりません。

 十界とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏の十種の生命の働きをいい、それらはすべて私たちの生命の奥底に冥伏(みょうぶく)しており、日常のさまざまな縁にふれて顕れてくるものなのです。

 ですから狐つきなども、その人の心身にそなわっている十界中の畜生界の働きが邪な信仰などに誘発されて現われてきたものといえます。

 このことは、狐つきが代々稲荷などの畜類を本尊とする信仰をしてきた家庭に現われる例が、極めて多いことからもわかるでしょう。

 つまり信仰の対象とした狐や犬などの畜生界の生命と、私たちの生命に備わっている畜生界が呼応して、いわゆる感応道交(かんのうどうこう)してあらわれた姿がつきものなのです。

 感応道交とは本来、衆生の機感と仏の応赴(おうふ)とが相通じて一道に交わることをいうのですが、この働きは広く十界のすべてに通ずるのです。

 すなわち正しい仏の教えに従って正しい信仰をつらぬけば、仏界と衆生の九界が感応道交し、しかも衆生の仏性が開発されて成仏への道が開けますが、狐などの畜類を信仰するならば、その人の心や行動や果報が狐などの畜生界の姿となって現れてくるのです。

 したがって狐つきなどで悩んでいる人は、正しい御本尊を信じて唱題し、自らも畜生界などに紛動されない強い意志を持つことが大切なのです。

 また、こうしたつきものを落とすのに、他宗の行者や神主などが、暗示や催眠を利用して祈祷をしたり、「松葉いぶし」などといって、家の中で松葉を燃やし、その煙でつきものをいぶり出す呪法を用いるようです。

 しかしそんなことをしても、その人の心身にきざまれた邪な信仰の汚れを落とすことはできません。

 長年の稲荷信仰などの謗法(ほうぼう)による罪障(ざいしょう)を消滅し、狐つきなどの苦しみから脱却する道は、日蓮大聖人が、

 「但(ただ)南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」(御書1293)

と説かれ、また、

 「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせん(詮)なし。但南無妙法蓮華経なるべし」(御書1219)

と仰せのように、仏の正しい教えである南無妙法蓮華経による以外にはないのです。

(『正しい宗教と信仰』より転記)