17年12月16日 00:54

『先祖を崇拝することが間違っているのか』

  14年1月 5日 11:38   閲覧件数 764
 先祖を敬い、崇めることは、仏法の教義に照らして、けっして間違いではありません。むしろ人間としてたいへん立派な行為といえます。

 しかし先祖を神として祭ったり、「仏」と呼んで祈願や礼拝の対象とすることは誤りです。なぜならば先祖といっても、私たちと同じように一人の人間として苦しんだり悩んだり、失敗したり泣いたりしながら生きた人たちであり、生前も死後も悪縁によれば苦を感じ、善縁すなわち正法によれば安楽の果報を受ける凡夫であることに変わりがないからなのです。いい換えれば、人間は死ぬことによって正しい悟りが得られるわけではありませんし、子孫を守ったり苦悩から救ったりできるわけでもないということです。

 世間では先祖や故人を「仏」と呼ぶ場合がありますが、これは仏教の精神から見て正しい用法ではありません。

 仏とは仏陀とも如来ともいい、この世の一切の真実の相(すがた)と真理を一分(いちぶん)のくもりもなく悟り極めた覚者(かくしゃ)という意味です。仏教の経典には阿弥陀仏や薬師仏、大日如来などたくさんの仏が説かれておりますが、これらの仏について、法華経には、
 「此の大乗経典は、諸仏の宝蔵なり。十方三世(じっぽうさんぜ)の諸仏の眼目(げんもく)なり。三世の諸(もろもろ)の如来を出生(しゅっしょう)する種なり」(観普賢経・開結624)
と説かれ、日蓮大聖人も、
 「三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給ひしなり」(法華初心成仏抄・新編1321)
と仰せられているように、多くの仏はすべて大乗経典たる妙法蓮華経という本法を種として仏と成ることができたのです。

 この原理は私たちや先祖が何によって真に救われるかをはっきり示しています。

 すなわち本当に先祖を敬い、先祖の恩に報いる気持ちがあるならば、生者、死者をともに根本から成仏せしめる本仏本法に従って正しく回向供養(えこうくよう)しなければなりません。

 また先祖の意思を考えてみますと、先祖の多くは我が家の繁栄と子孫の幸せを願って苦労されたことでしょう。急病の子供を背負って医者を探し求めたこともあったでしょうし、妻子を助けるために我が身を犠牲にされた方もいたことと思います。このように一家の繁栄と幸福を願う先祖がもし、自分の子孫の一人が、真実の仏法によって先祖を回向し、自らも幸せになるために信仰を始めたことを知ったならば、家代々の宗教を改めたことを悲しむどころか、「宿願ここに成れり」と大いに喜ぶはずです。

(『正しい宗教と信仰』より転記)