17年8月20日 05:19

宗祖日蓮大聖人《今月の御書 1月度》

  14年1月 5日 08:53   閲覧件数 818
『佐渡御書』 文永九年三月二〇日 五一歳

 世間に人の恐るゝ者は、火炎(ほのお)の中と刀剣(つるぎ)の影と此の身の死するとなるべし。牛馬猶(なお)身を惜しむ、況んや人身をや。癩人(らいにん)猶命を惜しむ、何に況んや壮人をや。

仏説いて云はく「七宝(しっぽう)を以て三千大千世界に布(し)き満つるとも、手の小指を以て仏経に供養せんには如かず(しかず)」取意。

雪山童子(せっせんどうじ)の身をなげし、楽法梵志(ぎょうぼうぼんじ)が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是を布施として仏法を習へば必ず仏となる。身命を捨つる人、他の宝を仏法に惜しむべしや。又財宝を仏法におしまん物、まさる身命を捨つべきや。

世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし。又主君の為に命を捨つる人は、すくなきようなれども其の数多し。男子ははじ(恥)に命を捨て、女人は男の為に命をす(捨)つ。魚は命を惜しむ故に、池にす(栖)むに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむ。しかれどもゑ(餌)にばかされて釣をのむ。鳥は木にす(栖)む。木のひきゝ(低き)事をお(怖)じて木の上枝(ほつえ)にすむ。しかれどもゑ(餌)にばかされて網にかゝる。

人も又是くの如し。世間の浅き事には身命を失(うしな)へども、大事の仏法なんどには捨つる事難し。故に仏になる人もなかるべし。

(御書五七八)