17年8月22日 18:20

『信仰はなぜ必要なのか』

  13年12月29日 13:06   閲覧件数 435
 一般に信仰とは、お年寄りが一種の精神修養や先祖を敬いつつ、なごやかな楽しみの場を持つために、お寺へ参詣し、時には団体旅行をすることぐらいの認識しか持ち合わせていない人が多いようです。

 あるいはまた困った時に、神仏の加護を求めて参詣し、手を合わせ、願をかけ、守り札などを大事にすることが、信仰だと思っている人もあります。

 しかし、正しい宗教を信仰する目的は、一人ひとりの人間の生命の救済、つまり、生・老・病・死の四苦や、経済的な苦しみや対人関係の悩みなどを含む、人のいかなる苦悩にも打ち勝つ活力を与え、すべての人々に真実の幸福を築かせ、尊い人生を全うするための生き方を教えるところにあります。

 したがって、正しい宗教の持つ働きは、単なる精神修養や気安めではないのです。

 正しい信仰は、何よりも人間の全生命の問題と、その生き方、人の幸・不幸にかかわる、実に重大な意義と働きと大きな価値を持っているのだということを知ってください。

 数ある宗教の中にあって、一時の気安めや現実からの逃避ではなく、真に一切の人間の苦悩を喜びに変え、大難を乗り越えて、煩悩を菩提へ、生死を涅槃へ、裟婆の忍土を寂光の楽土へと転換させうる仏法こそ、日蓮大聖人の教えなのです。

 では、正しい信仰に、どのような功徳がそなわるかといいますと、

 ①世界中の一切の人々を、真に幸せな即身成仏の境界に導くことができる。
 ②強盛な信仰を通して、御本尊に託する願いや希望を成就し、また、悩みや苦しみに打ち勝つ金剛心を育てることができる。
 ③御本尊にそなわる題目の功徳によって、父母を救い、先祖代々の人々を成仏させ、また、未来の子孫をも救済する福徳を得ることができる。

などがあり、そのほかにも正しい信仰の功徳は数多くあります。

 日蓮大聖人は、妙法を信受する功徳について、
 「南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば滅せぬ罪や有るべき、来たらぬ福や有るべき。真実なり甚深なり、是を信受すべし」(聖愚問答抄・新編四〇六)

と教えられています。

(『正しい宗教と信仰』より転記)