17年10月20日 01:06

『利益や罰はその人の心の持ち方によるのであって、客観的にあるものではない』

  13年12月29日 14:52   閲覧件数 666
 人間の幸福と不幸を、線を引いて区分することはできません。まったく同じ条件のなかにあって、ある人は自分は不幸だと思う人もいれば、別な人は自分は幸福だと思う場合もあります。ひとつの結果を利益とみるか、罰とみるかはその人の心や考え方によって決定されるといっても間違いではありません。

 「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉がありますが、どこまで心頭を滅却(無念無想の境地)できるか、どの程度の火熱を涼しく感ずるかという限界点は個人差がありましょう。しかし普通の人で、真っ赤に焼けた鉄にふれても何も感じない人はいません。また食事をとらないで一日二日は我慢できても、十日も二十日も絶食して平常と変わらない人はいません。どんな人でも体に激痛を感ずれば心も落ち着かなくなるのは当然です。

 これらの事実から見ても、現実の結果や物事の評価は人間の心によって決定されるものですが、心はまた現実の物質世界に支えられていることがわかるでしょう。

 これらの原理を仏法では「色心不二」といって物質や肉体(色)と精神(心)はたがいに離れることなく一体であると説いています。

 この色心不二の生命に根本的な影響を与えるものが宗教です。

 日蓮大聖人の教えによりますと、妙法を信受する者について、
 「身は是安全にして、心は是禅定ならん」(立正安国論・新編二五〇)

と仰せられ、心に禅定を得るばかりでなく、身体も安穏になると説かれています。

 また、正法に背く者について、経文を引用して、
 「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん」(立正安国論・新編二四九)

と説かれています。この文の意味は、

 “正法を信ぜず、信仰を壊る者は福徳が尽きて、孝養心のある子供に恵まれず、親子・兄弟・親戚が仲たがいをしていがみあう。天候不順で作物が実らず、悪病が流行し、悪い思想もはやって生活をおびやかす。奇怪な事件やわざわいが次々に起こり、死後は苦しみの地獄、飢渇の餓鬼、互いに殺し合う畜生などの世界に落ちる。その後もし人間に生まれてくるならば兵隊として戦場にかり出されたり、奴隷となって酷使されるであろう”

というのです。

 これらの教えは因果の道理、すなわち善因を積めば善果を得、悪因には悪果を生じるという当然の姿を記したものであり、正法を信受する者には大利益が、不信毀謗の者には厳然とした罰が、身心両面に現れることを説いているのです。

 真実の幸福と安穏な境涯は、凡俗の私たちが心でどのように受けとめるか、あるいは一時的な感情でどのように考えるか、というところにあるのではなく、正しい仏法をいかに余念なく信受し、行じうるかにかかっていることを知るべきでしょう。

(『正しい宗教と信仰』より転記)