変節する「教義」
変わらぬ「体質」
-創価学会
■変節する「教義」
創価学会は「教宣ハンドブック」なる書籍を発刊している。これは、新興教団池田教と成り果てた創価学会が、日蓮正宗を非難攻撃するためだけに書かれたもので、所詮は正法誹謗の悪書・邪書である。
既に日蓮正宗から破門され、邪教団となった以上、いつまでも日蓮正宗批判もあるまい。未練たらしく日蓮正宗批判を繰り返している姿に、日蓮正宗の教義を払拭しきれないジレンマが如実に現れている。
それもそのはず。創価学会には、元来、宗教団体としての必要不可欠な本尊も教義も、自前のものは何も存在しない。
昨今、「会友」なる、会員だが賛助に過ぎないのか、訳の判らない立場となった者はともかく、日蓮正宗信徒団体だった頃の創価学会に「入信」した会員には、日蓮正宗の教義・信仰が身に染みている。
そのような者には、創価学会独自の本尊も教義もないことが、よく判ってしまっている。
そこで、考えついたのが、日蓮正宗の御本尊を盗用した『ニセ本尊』であり、日蓮正宗の教義をまねた「似非教義」である。
これを「教宣ハンドブック」のような邪書を用いて何度も会員にすり込む
まさに「洗脳」だ。
しかし、ここには創価学会の教義が変節したことが、よく表れている。
「教宣ハンドブック」などに載る邪論は、過去の創価学会の主義・主張からも完全に破綻しているのだ。
創価学会は、このように稚拙な変節を繰り返しており、この一事からも邪法邪義であることは明白だ。
■諸悪の根源
この創価学会の変節の原因は、ひとえに池田大作の邪心にある。
大作は、牧口常三郎、戸田城聖の歴代会長の篤き信心と熱誠によって創価学会が大躍進したにもかかわらず、なぜか、自分の実力だと勘違いした。
「めでたい」と言う他はない、大慢心である。
そもそも創価学会が躍進した最大の原因は、御本尊の広大深遠なる功力にある。このことは、たとえ悩乱の大作であっても否定できまい。
この真摯な信心を忘れたところに、大作の暴走が始まってしまったのだ。
それが、創価学会の「会則」を改変し、「『三代会長』は広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である。」(第3条)なる条文を盛り込んだことに象徴されている。
このような抱腹絶倒の条文を、臆面もなく規定する創価学会には、もはや大作の邪心を見抜き、制止し、矯正できる者などいないことが、よく判る。
それと同時に、この大作の邪心が、哀れにも個々の会員にも浸潤し、籠絡されていることも自明である。
大作の邪心こそ、大謗法の根源なのである。
■変わらぬ「体質」
しかし創価学会には、時代を経ても変わらぬものがある。
権力に諂う体質だ。
かつて創価学会は、「言論出版妨害事件」なる言論弾圧を行った。これは、「1960年代末から1970年代にかけて日本で発生した、新宗教団体・創価学会と同団体を支持母体とする政党・公明党が自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するために、著者、出版社、取次店、書店等に圧力をかけて妨害したとされる事件」と、インターネット上に紹介される大事件を指す。
これは、自らの利益にならないもの、就中、対抗勢力に対しては、徹底的に圧力をかけるという体質そのものである。憲法に保障された言論や出版の自由といえども、邪魔になれば、政治権力を用いてでも妨害しようとする。
まさに、大作の邪心の表徴とも言えよう。
大作はこの問題の終息のため、昭和45年に公式に謝罪し、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約したが、今もって、その体質は変わらない。
この大作の邪心を徹底的に暴き駆逐しなければ、創価学会の迷妄は醒めない。自浄作用など全く期待できない彼らの目を醒ますのは、我らの折伏以外にないのである。
〈大白法 4月1日号より〉