【以下は『折伏教典』・『創価新報』のかつての記事です】
*御本尊
「信仰の対象としていっさいをささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山においてはご相伝により、代々の御法主猊下おひとりが、おしたためあそばされるものであり、われら信者がうんぬんすべきことではないのである。三大秘法鈔、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、かってな御本尊を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。これは不相伝なるがゆえに仏法の深義に迷うのであって、不相伝家はみな本尊に迷うということである」
(『折伏教典』315)
「本宗(日蓮正宗)に伝わる末法総与の大御本尊をまねたり、一機一縁の御本尊を担ぎ出す、いわゆる付属のないもの。これは偽札本尊といって、これらを本尊と立てる連中は、御本尊は誰が書いてもよい等と口走るのである」
(同329)
「日蓮正宗の本尊を除いては、ことごとく天魔外道の本尊である。姿は仏に似せようと神を顕そうと、みな内証においては天魔外道である」
(同45)
*信仰の根本・命脈
「宗祖日蓮大聖人の御内証を二祖日興上人を経て、代々の御法主上人猊下に法水写瓶して末法万年の未来へ誤りなく伝承する金口着々・唯授一人の血脈相承。これこそ、戒壇の大御本尊とともに、日蓮正宗の教義、信仰の根本中の根本であり、命脈中の命脈である。このことは、日蓮正宗の信徒であるならば、誰でも知っていることである」
(『創価新報』昭和58年4月20日)